TOEICスコアを1年間で400点伸ばした方法①使用教材編
こんにちは。今日は専門学校でメインでやっていたことの1つであるTOEICについてお話したいと思います。
私は専門学校に入学した当初、TOEICスコアは495点だったのですが、1年生の2月に830点、ちょうど1年後の2年生の5月には880点を取得しました。ここまで点数を上げた勉強方法や、使用教材、毎日のルーティーンなどについて詳しくお話します。ちなみに、私が800点取得したときはIPテストが新形式に変わる直前でしたので、その点はご容赦ください。でも新形式でも旧形式でもあまり変わらない気もします。。
まず、使用教材の話をしたいと思います。1年生の頃は授業でTOEICを扱っていたので、毎回の授業の復習は欠かさずやることと、単語テストは毎回満点を取ることは最低限としてやりました。当時使っていた単語帳は以下のものです。
TOEIC TEST 瞬感英単語 600点突破 最初の450語: 使える英単語はイラストと音声で一気に増やそう
- 作者: 栗本孝子
- 出版社/メーカー: 誠文堂新光社
- 発売日: 2015/09/08
- メディア: 単行本
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TOEIC TEST 瞬感英単語 600点突破 必須の450語: 使える英単語はイラストと音声で一気に増やそう
- 作者: 栗本孝子
- 出版社/メーカー: 誠文堂新光社
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これは授業の単語テストで使用していたもので、最初に黄色の単語帳、次に青色の単語帳をマスターしました。受験勉強でも言われますが、単語を覚えるときは単語だけ覚えるのではなく、文章丸ごと覚えることをおすすめします。そのほうが使い方や意味を覚えやすいし、リーディングにも役立つと思います。
2年生になると使う単語帳が変わり、以下のものを使用していました。
- 作者: 鈴木陽一
- 出版社/メーカー: アイシーピー
- 発売日: 2000/03/15
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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高校生のときに大学受験でよく使われる単語帳ですよね。私の高校で使っていたものとは違いますが、高校時代を懐かしむと同時に専門学校でこれ使うんだ、と思った記憶があります。専門学校でDUOに出会うなんて思いもよらなかったです。。DUOも同じように単語テストで使用され、文章丸暗記していました。
問題集はというと、超ベーシックなものを使っていました。
- 作者: Educational Testing Service
- 出版社/メーカー: 国際ビジネスコミュニケーション協会
- 発売日: 2005/12/01
- メディア: 大型本
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この問題集はVol.6くらいまであるのですが、これが図書館においてあり、それを借りて使っていました。ただ、1度使ったら終わりではなく、それぞれを4~5回くらい解きました。最終的には答えを覚えてしまっていて、それくらいやりこみました。この問題集は新形式バージョンが発売しているかどうか不明なので、書店などで確認してみてください。
その他で使ったものは以下のものです。
文法を強化するために使いました。文法は落とせないし、文法ができてないとリーディングが壊滅的になると思うので文法強化は必須です。これで文法は8割は絶対取れるようになりましたし、1度満点取れたこともあります。
あと、リスニング教材は問題集に加えてこちら。
CNN ENGLISH EXPRESS (イングリッシュ・エクスプレス) 2019年 09月号 【特集】英語で伝えるヒロシマ・ナガサキ【インタビュー】ブラピ&ディカプリオ
- 作者: CNN English Express編
- 出版社/メーカー: 朝日出版社
- 発売日: 2019/08/06
- メディア: 雑誌
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リスニングについては授業に加えて公式問題集しか使っていなかったのですが、ある程度伸びるとそれ以上伸びなくなり、English JournalとCNNを使っていました。TOEICのリスニングはたしか4種類の英語(アメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリア)が使われていると思いますが、それぞれクセがあり聞き取りにくいものもあると思います。それに対応するためにこれらを使用しました。載せているものは最新版ですが、自分の興味のあるものや難易度を自分で選んで使っていました。
以上が1年間で使用していた教材です。あまりベーシックなものは使っていないと思います。一般的にTOEICで使う教材をあまり知らないのですが、代表的なものは金フレでしょうか?金フレは本当に役に立つのか疑ってしまい使いませんでした。
教材の紹介だけで思いのほか長くなってしまったので、教材の使い方やルーティーンは次回にお話しますね。すみません。。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
KYOKO
専門学校での2年間
こんにちは。今日はタイトルにある通り専門学校で何をやっていたかについてお話したいと思います。
前回の記事でもちょっと触れましたが、私は大学を中途退学して専門学校へ行きました。その理由は大きく分けて2つあり、1つは当時の環境を変えたかったから、もう1つは英語を習得したかったからです。
私が通っていた学校は、英語をベースとしてプラスαで何かを学ぶといった形でコースが展開されていました。プラスαの例を言うと、アジア圏やヨーロッパ圏の言語やビジネス、通訳、CAや児童教育などなどです。
私が所属していたコースはビジネス寄りで、TOEICや英語プレゼンに力を入れているような感じでした。単位数は2年間で150単位。ちなみに大学は4年間で120単位くらいです。ついていけず何人か辞めました。授業については、ほぼ2年間ずっと9:00から17:00まで授業で、高校生と同じような感じでした。内容は、1年生のときは英語力強化の授業がメインで、TOEICやニュースを聞くようなListening、文法の基礎、プレゼンの基礎といった感じです。先生も日本人とネイティブ半々くらいでした。毎日何かしらの授業でプレゼンやってた気がします。1年生の2学期の期末が多忙のピークで、毎日テストかレポート締切かプレゼンが入っていて、笑うしかなかったなぁ。2年生になると歴史や国際情勢、経済といったジャンルを広く浅く学びました。先生はネイティブの先生だったので、2年生になるとほぼほぼ先生はネイティブです。週に1日は英語しか聞いてない、といった日があるくらいでした。ちなみに授業は大学のように自分で選ぶシステムはなく、学校側で決められていました。
ここからは私がどのような学生で、2年間で成し遂げたこと、そこから何を得たのかについてお話します。
私はとにかく英語が大嫌いでした。嫌いだと気づいたきっかけは、高校3年生のときに志望していた大学に手が届かなかった理由が英語だったからです。そのときに、私は英語ができないんだ、と思い込んでしまいました。
じゃあなぜ英語の専門学校に飛び込んだかというと、これからキャリアを積んでいくには英語が必要だ!と、今から4年程前の私は思い、国内で集中的に英語を学べるところとして専門学校を選びました。
ですので、入学した当初は弱音しか言ってなかったと思います。周りが帰国子女だの留学帰りだの英語が堪能な人が多すぎて、周りと比べては劣等感を感じていました。なぜか有楽町のビックカメラで泣いたこと、アシスタントの先生に自分は何もできない人間だと号泣したことは今でも覚えています。
ここで逃げたらこれから何やっても逃げる人生になると思い、1年生のうちにTOEIC800点取得という目標を立て、頑張ることにしました。これは1年生の2月になんとか達成しました。これが1年生のときにメインでやったことです。死ぬ気でTOEIC。
さて、2年生に何をやったかと言うと、大学編入です。元々、専門学校を卒業したあとは就職する気でいたのですが、ひょんなことに編入の道を選びました。理由も前回の記事にてお話した気がします。
編入の勉強を始めたのが6月で、試験が終わったのは11月。学科内では習わない経済学と経営学を半年間勉強しました。並行して卒業制作も進めていたので、2年間で一番多忙だったと思います。卒業制作とは、大学だと卒論に値するものです。学科内で何個かのグループに分かれ、プロダクトやサービスの紹介、0から新しいサービスを考えてそれについてプレゼンなど、年によって様々です。私のときは、VR使ってたらなんでもいいよ、という雑なテーマでした。私のチームはVRを使った中学生向けの英語塾を考案しました。秋に卒業制作もプレゼンもすべてが終わり、その後はなぜか経済数学にびびって高校数学の復習やったりしていました。
TOEICについて、編入についてはそれぞれお話できたらいいなと思います。
最後に、専門学校で得たものは、やりきる力と忍耐力です。この先どんな厳しいことがあっても乗り切れる自信はつきました。それくらい厳しかったです。あと仲間にすごく恵まれたので、大学でのゼミや会社の同期などは大切にしようと思います。あまり集団行動は好きではないけど。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
KYOKO
レールに乗らない人生
こんにちは。2回目の更新です。なんでもかんでも3日坊主にする癖があり、それが発動しそうでした。。
さて、今日は私が今までどのような意思決定に基づき進路を選んできたのか、ということについてお話したいと思います。
今まで私は、大学2つ、専門学校1つ、通いました。しかも国内。順番で言えば、大学→専門学校→大学です。
【高校】
私は高校まではただの片田舎に住んでいました。自転車を合計1時間、電車に約30分乗って高校まで通っていました。高校はいわゆる進学校と言われる高校で、1年生のときから先生に大学受験について口うるさく言われるようなところです。
高校3年生のときに進路を決めるのですが、そこで先生から成績が足りているから推薦を勧められました。めっちゃ迷った。かなり迷った。だってそこで人生を左右する受験勉強が終わるんだもん。そんなに悪い大学じゃなかったし。迷いに迷った挙句、当時の私は推薦を受けることにしました。
【1つ目の大学】
大学から地元を離れ、とある関西の私立大学へ進学しました。周りはキャピキャピ、キラキラしていて圧倒されまくり。これが都会の大学かと実感しました。ただ、自分が高校生のときに思っていた大学とは違い、悩みました。当時、私はマーケティングに興味があり、その中でもブランド戦略を学ぼうと思っていました。大学でも学ぶ意欲に満ち溢れていました。しかし、授業中は私語が飛び交い教室はまるで動物園、飲み会やバイトに明け暮れる学生の大量生産などなど、大学への期待を見事に裏切られました。当時の心境は、大学も関西も大嫌いで、今すぐに出ていきたい気分でした。
そこで私がどう行動に出たかというと、なんと退学したのです。
【専門学校】
大学を中退した私が飛び込んだ先は、東京のとある専門学校です。田舎者にとって東京は憧れの地なので上京できることはとてもラッキーでした。とにかく厳しい環境に身を置きたかったので、専門学校の中でも特に単位数が多い学科へ入学しました。当時の私はとにかく英語が苦手だったので、日々きつい、しんどい、やりたくないのオンパレードでしたが、TOEICスコアを1年間で400点伸ばし、英語プレゼンやったり、大学編入やったり、個人的にはそこそこの成果を残せたかなと思います。思い返してみればしんどいなんて感情は一瞬で、2年間楽しかったの一言に尽きます。
【2つ目の大学】
先述しましたが、現在の大学には編入で入りました。そのため3年生からのスタートです。専門学校のときに一旦就職活動したものの、やっぱり日本はまだまだ学歴社会だと実感し、大学に戻ることにしました。それも、前に通っていた大学ではなく別の大学です。これについてはまた別で詳しく話します。
仙台の国立大学にいます(と言えば特定されてしまう?)。編入のときに経済学にハマり、経済学を専攻しています。特に強調して言いたいこともなく、強いて言えば、大学はどこも同じだということくらいです。理系だと違ったのかな。とりあえず残りの学生生活は、私は勉強が大好きらしいので、勉強をやり切って社会人になろうと思っています。
それぞれの項目については(特に専門学校のこと)また別で記事にしたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
KYOKO