専門学校での2年間

 

 

こんにちは。今日はタイトルにある通り専門学校で何をやっていたかについてお話したいと思います。

 

前回の記事でもちょっと触れましたが、私は大学を中途退学して専門学校へ行きました。その理由は大きく分けて2つあり、1つは当時の環境を変えたかったから、もう1つは英語を習得したかったからです。

 

私が通っていた学校は、英語をベースとしてプラスαで何かを学ぶといった形でコースが展開されていました。プラスαの例を言うと、アジア圏やヨーロッパ圏の言語やビジネス、通訳、CAや児童教育などなどです。

私が所属していたコースはビジネス寄りで、TOEICや英語プレゼンに力を入れているような感じでした。単位数は2年間で150単位。ちなみに大学は4年間で120単位くらいです。ついていけず何人か辞めました。授業については、ほぼ2年間ずっと9:00から17:00まで授業で、高校生と同じような感じでした。内容は、1年生のときは英語力強化の授業がメインで、TOEICやニュースを聞くようなListening、文法の基礎、プレゼンの基礎といった感じです。先生も日本人とネイティブ半々くらいでした。毎日何かしらの授業でプレゼンやってた気がします。1年生の2学期の期末が多忙のピークで、毎日テストかレポート締切かプレゼンが入っていて、笑うしかなかったなぁ。2年生になると歴史や国際情勢、経済といったジャンルを広く浅く学びました。先生はネイティブの先生だったので、2年生になるとほぼほぼ先生はネイティブです。週に1日は英語しか聞いてない、といった日があるくらいでした。ちなみに授業は大学のように自分で選ぶシステムはなく、学校側で決められていました。

 

ここからは私がどのような学生で、2年間で成し遂げたこと、そこから何を得たのかについてお話します。

 

私はとにかく英語が大嫌いでした。嫌いだと気づいたきっかけは、高校3年生のときに志望していた大学に手が届かなかった理由が英語だったからです。そのときに、私は英語ができないんだ、と思い込んでしまいました。

じゃあなぜ英語の専門学校に飛び込んだかというと、これからキャリアを積んでいくには英語が必要だ!と、今から4年程前の私は思い、国内で集中的に英語を学べるところとして専門学校を選びました。

 

ですので、入学した当初は弱音しか言ってなかったと思います。周りが帰国子女だの留学帰りだの英語が堪能な人が多すぎて、周りと比べては劣等感を感じていました。なぜか有楽町のビックカメラで泣いたこと、アシスタントの先生に自分は何もできない人間だと号泣したことは今でも覚えています。

 

ここで逃げたらこれから何やっても逃げる人生になると思い、1年生のうちにTOEIC800点取得という目標を立て、頑張ることにしました。これは1年生の2月になんとか達成しました。これが1年生のときにメインでやったことです。死ぬ気でTOEIC

 

さて、2年生に何をやったかと言うと、大学編入です。元々、専門学校を卒業したあとは就職する気でいたのですが、ひょんなことに編入の道を選びました。理由も前回の記事にてお話した気がします。

編入の勉強を始めたのが6月で、試験が終わったのは11月。学科内では習わない経済学と経営学を半年間勉強しました。並行して卒業制作も進めていたので、2年間で一番多忙だったと思います。卒業制作とは、大学だと卒論に値するものです。学科内で何個かのグループに分かれ、プロダクトやサービスの紹介、0から新しいサービスを考えてそれについてプレゼンなど、年によって様々です。私のときは、VR使ってたらなんでもいいよ、という雑なテーマでした。私のチームはVRを使った中学生向けの英語塾を考案しました。秋に卒業制作もプレゼンもすべてが終わり、その後はなぜか経済数学にびびって高校数学の復習やったりしていました。

 

TOEICについて、編入についてはそれぞれお話できたらいいなと思います。

 

最後に、専門学校で得たものは、やりきる力と忍耐力です。この先どんな厳しいことがあっても乗り切れる自信はつきました。それくらい厳しかったです。あと仲間にすごく恵まれたので、大学でのゼミや会社の同期などは大切にしようと思います。あまり集団行動は好きではないけど。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

KYOKO